シンの転落展開がなぜ駄目なのか

 最近の逆恨み悪役街道まっしぐらのシンですが、まあ「そもそもの作劇意図は、シンが暗黒面に堕ちていくという物なのだから、シンが判断を誤りヒールになっていくからといって、シンや製作者を批判するのは不当だ」という弁護があるかもしれません。
 たしかに作劇意図はそうでしょうが、問題は、こうした堕落や転落のストーリーとしての説得力や面白みに、大きく欠けていること。

 この手の話の古典的存在である『アーサー王伝説』の円卓の騎士ランスロットは、一方ではアーサー王への騎士としての友情と忠誠、もう一方では王妃グィネヴィアへの許されない恋愛感情を持ち、理性では前者の道に生きるべきとわかっていながら、どうしても後者の思いを捨てられずに、自身とキャメロット全体の破滅へと転がり落ちてしまう。
 暗黒面への堕落の話というのは、本来は正道を守るべきと自覚しながらも、どうしても邪道への誘惑を捨てきれず苦悩したり、これまでの人生観をひっくり返すような衝撃的な事件にあったりして、堕ちてしまうという過程を見せてこそ、その登場人物や物語の悲劇性を感じる事とができる(余談ながら、種や種デスは、全般的にも、こういう、作劇上の山と谷の落差を描くのが、物凄く下手です)。

 ところが、シンの場合、作劇上の意図が明確に「シンはどうしょうも無いバカだから転落していく」というように描かれている。これは安直極まりない作劇。
 一例としては、ステラを逃がした後、議長の通常ではありえない処置でシンは許されるという話。これをシンの立場を尊重した上で堕落のきっかけにするというのなら、シンが自分の非も認めて消沈しているところを、議長が、その意志を受けたレイが、言葉巧みにシンの行動を肯定して心の免罪符を与え、その行動方針をゆがめ、堕落させていくという展開が考えられます。ところが実際のストーリーは、無罪放免にされた理由は「功績と戦力を考慮して」という戦闘能力のみを考慮した物で、それをシンは「正しい行いをしから議長に認められた」と勘違いをするという、「シンはバカ」というのを見せる展開になっている。
 他にも、今回の、まず恨むべきネオと敵軍の事はなぜか全く考えずに、フリーダムとキラを恨んでしまうという、おかしな思考など、とにかく事あるごとに、「シンはバカだから暗黒面に転落していく」というように描かれている。

 まあ、シンのどうしょうもない愚かさを笑いものにしながら観賞するには、いいかもしれませんが。