Fate原作、セイバールート、凛ルート終了

 FATE原作、アニメのメイン原作にもなっているであろう最初のセイバールートと、補助的に使われている二番目の凛ルートを終わりました。今は最後らしい三番目のルートを進行中。

 ネタバレ的な事を述べるのはアニメ版でそれが出てきた後にしますが、これ、登場人物の微妙な心情描写、各種解説、込み入った設定など「長文のテキスト」を生かした作りが大変面白い分、やはりアニメ化の難易度が相当高そう。アニメ版製作者が気の毒になってきます。それでも、もう少し上手くやるだけでアニメ版も良くなりうる、演出、シリーズ構成の問題もありますが。

 まず、アニメ版では自分の実力や状況をまるで省みない馬鹿に見える士郎ですが、原作では士郎の一人称で、心中で実現の無理さや冷静な分析をした上で、あえて正義感の強い言動をとっていて、アニメ版よりずっと好感が持てるようになっています。
 それがアニメ版、心中の描写をほとんど描かず、結果としての言動部分だけをもっぱら描いているので(台詞自体などは原作にかなり忠実)、結果的に「ただの迷惑な馬鹿」になっているようです。独り言、ボイスオーバーによる心中の表現、台詞回しを多少アレンジするなど、もう少し上手くやる方法はいくつかあると思いますが。
 また、士郎の性格的欠点として作中で指摘される、過剰すぎる自己犠牲的で利他的性格を表現しようとするあまり、アニメ版は最初からその事を強調しすぎ。序盤は好感を持てるようにして、徐々に違和感を漏らせていき、中盤でその欠点を強調する、といったようにする方が妥当な作劇でしょう。

 また、分岐前提の電子ノベルを一まとめにした弊害も見られます*1。アニメ版では、命を落としかける危険に何度も遭っているのに、なかなか危険を認識せず自殺行為を繰り返す士郎。ところが、原作の方を見てみると、バーサーカー戦で死にかけるエピソードはセイバールート、凛に学校で襲われたりライダーに殺されかけたりするエピソードは凛ルートと、本来は別々の話。それを無理に一つながりにしたので、「なかなか危険を認識せず自殺行為を繰り返す士郎」というフィルム上の結果の大きな要因になったようです。

*1:分岐前提の電子ノベルのアニメ化だと、どの作品でも苦労している事ではありますが