織田信長合戦全録

 先日読んだ『信長軍の司令官』の著者の前著。
 まず何より価値があったのが、変に想像を働かせるよりも、徹底的に資料を読み込み、その位置付けや信頼度などを検証した上で論じている事。

 著者は信長の、特に前半の強さの核は、速攻と強力な直属部隊の要請維持にあったと論じる。
 有名な、父の死後に離反反乱が続出した時期。普通なら離反反乱がおこらないよう人を引き止めるようにするところを、信長は厳選された直属の部下などを強化する事によって、事態を収集し権力掌握を確固とした。


 合戦関連以外でも、有名な、信長が自己神格化の祭典を催したという事件。検証してみると、実はルイス・フロイスイエズス会総会長に送った「信長死後の」手紙一つにしか記載がなく、フロイスのいうほどの祭典だったなら、他の日本人の日記等の記録に全く見られないのはおかしいとの指摘。たしかにごもっとも。著者は、フロイスの創作の可能性が高いと指摘。
 信長に直接関係のないところでは、上杉謙信について、領土的野心がないと言われているが、信玄等の脅威がなくなってからは、西方面に勢力拡大をしていたという興味を惹かれる指摘も。

織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)

織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)

 ところで、amazonのレビューを見ると『武功夜話』を使っているのが問題と指摘しているレビューがありました。
 この著書で『武功夜話』が引用されているのはP183で「これらの記事は信じない方がいい」という引用のされ方。あとはP225で秀吉の高松攻めの兵数の記述が引用されていますが、「そのぐらいの大軍だったのだろう」と、さほどあてにしない程度に参考という引用。
 しかし『武功夜話』、戦国当時からある程度年数を経た後に書かれたとか、写本過程での変化とかいう以前に、「偽書」の可能性が高い代物ですから、史料として引用する事自体が確かに迂闊。このあたりは大きな片手落ちでしょう。

武功夜話
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%8A%9F%E5%A4%9C%E8%A9%B1

http://d.hatena.ne.jp/shidehira/20050109 多分そのレビューを書いたであろう人のはてな日記