感想批評における、経験や教本

 ふと『ガンダムセンチュリー』を読み返していると、(25年前の)永井一郎氏がスタニスラフスキーの著作と理論を元に演技について述べているコラムを再見しました。
 でもまあ、ふと思ったのが、「批評感想系の話題でこの程度の基本的な教本や理論、それを裏づける幅広い経験の必要性を持ち出しただけで、権威主義の馬鹿者だ!と拒絶反応をおこす困った人がしばしばいるんだよなあ」。私の場合は脚本的な方面の話題が多かったですが、仮にスタニスラフスキーの本やシステム(演技の基礎レベルの事)を持ち出していたら、やはりあの手の人は拒絶するでしょう。なにせ、ある種デス信者*1なんて、超目標や貫徹行動といった程度の話をふっただけで「種デスにはそれは適用できないのです!」と言い張っていましたし。ついでに言うと、群像劇やラブコメにも適用できないそうな......そんなわけはない。
 まあ、教本や経験を否定する人がすばらしい感想批評を書いているなら、まだ拝聴に値いますが、そういう人はほぼ100%以下のどちらかだったんですな。

  • 特定の一つか二つ程度の作品か、もしくは狭い特定ジャンルに固執する。ただし宣伝的にマイナーな作品が固執対象である事はほとんど無い。
  • 他人の批評感想にケチをつける事ばかりに熱心で、独自に批評感想を書く事をほとんどしない

 「経験や教本を持ち出すのは権威主義依存だ!」と主張する人が、ある程度以上の数を扱った批評感想を、他人へのレス付けなどでは無く、自立して書いているなんてケースは、少なくとも私は見た事がない。
 まあ経験も実践もわずかしかない人が、それを補いたくないという虫のいいこと(あるいはその必要性自体全く理解できない)を考えながら、それでも自説を押し通そうとするなら、理論も経験も否定して「先入観に惑わされない素直な理解力」を強弁するしかないでしょう。
 相手の挙げた教本を読み込んで「その教本への君の理解は誤っている」と指摘し返すなんて事も皆無ですから、この手の方々。

 で、派生して思ったことは、いわゆる批評感想系サイトを運営している人で、理論的な事を意識して書いている人はどの程度の割合いるのかと。さすがに職業的に書いている人やそれに近い立場だと、きっちり学んでいますが、もっと軽い立場の素人(私ごときみたいな)批評感想だとどの程度の者かと。
 まあ理論をことさら勉強しなくても、良い批評感想をたくさん見て、たくさんの作品を見て、たくさん書いていれば、自然と身につく事ではありますが。逆に、教本だけ先に読んでも、数をこなさないと身につかない。

*1:信者といういい方は乱用したくはありませんが、この場合は、種デスのあの惨状が「作劇的に計算された物」と言い張っていいるので、さすがに信者と言うのに値する