アニメーション作品で政治ストーリーを描く

 竹田青滋氏のプロデュースしたアニメ番組、鋼の錬金術師ガンダムSEEDガンダムSEED DESTINYエウレカセブンBLOOD+。このうち、ストレートに誉められるのは、『鋼の錬金術師』ぐらいで、他は、主に文芸、シリーズ構成面でいろいろと問題が見られる。『鋼の錬金術師』は原作付ですから、オリジナルは、皆問題ありという始末。
 で、こうなる原因の一つですが、竹田氏、政治的な事を番組に盛り込もうとオーダーを出しているのに、製作側に、政治的な事を描くセンスが無いのが原因ではないでしょうか。
 日本アニメ作品全体を見ても、この手の題材には、あまり積極的ではない。

 政治的な事といっても定義は曖昧ですが、要するに、政治的理念、システム、政治活動や駆け引き、対立を描いた話としておきます。
 開国か鎖国か、倒幕か幕府改革かなどで争った、日本の幕末を舞台にした、多くの話が、典型例。幕末ものに限らず、歴史小説では、政治物的要素が強い話が多い。
 アニメで政治を盛り込んだ例としては、『機動戦士ガンダム』がよく挙げられますが、これは、本編中で、政治的な事情は断片的には出てきますが、どちらかといえば、戦場と言う舞台設定に厚みを出したり、登場人物のたちのドラマ(特にザビ家関連)の背景にしたりする程度の使い方。他にも、富野監督作品の政治的要素は、大体はこのように使われる。他のロボット戦争物の政治の扱いも、だいたいこの程度。

 本格的に政治物的要素を盛り込んだ物を列挙すると以下のとおり。

・『太陽の牙ダグラム』『装甲騎兵ボトムズ クメン編』のカンジェルマン関連:政治役な事をメインに据えたストーリーとしては、古典ながら、必要な事をしっかり描き、いいストーリー展開を描いた作品。他にも、高橋監督作品はこの手の傾向が強い。
押井守系作品。政治物的色合いが強い作品、システムの中の人間についての話が、それこそいくつも。
・『銀河英雄伝説』:アニメオリジナルでは無く原作付。原作が、歴史物の文脈で描かれているので、政治物の要素が強いのも当然。

 以上は、それなり以上に過去の良作。

 次は不発の例。

・『機動戦士Ζガンダム』:リアルロボット物ブームの末期に作られ、政治的要素もそのジャンルとして必要としたのか、ティターンズエゥーゴという図式などを描こうとしていましたが、理念的対立の部分は、あまり上手く行かず、結局は富野的ドラマ展開に。

 しかし、95年以降作られたこの二作は、わざわざ政治物的要素を強くしておきながら、正直、不発どころでは無く、全くなっていない出来。
・『新機動戦記ガンダムW』:作中の理念の対立が「絶対平和主義」対「勇敢な兵士」という、無茶な代物。
 そしてなぜか、作中の登場人物たちは、「戦争反対」=「絶対平和主義」という極端な考え方をする。「兵士=騎士道精神あふれる存在」という位置付けも、おかしいことこの上ない。しかも、その表現のために、やたらと自爆。そして、大した政治活動も意義もあるように見えないのに、絶対平和主義とともにもてはやされるリリーナ(それでも、出来る限り真面目に政治活動していた分、後のSEEDのラクス・クラインよるは、はるかにマシというのがなんとも......)。
 非現実的でもインパクト重視のキャラクターたちが、最大の売りの作品でしたから、ファンタジー世界と割り切れば、みれなくもないですが、どうも。
 正直、SEED&SEED DESTINYがなければ、最悪クラスの位置付けでした。
・『ガサラキ』:現実的な舞台で、現実的な政治を描こうとして、作劇能力が全くともなつていなかった代物。
 後半のクーデター話が、脚本としての基礎レベルから問題だらけ(始めから、主人公がデクノボウなど、問題だらけですが)。
 列挙すると、「日米が戦争状態になるほど対立の理由が作中では不明確。そのためクーデター派の行動目的も不明確」「作中外解説のTA技術の問題が対立原因という説明が、さらに理不尽」「実は雰囲気だけで成り立っている西田」「主人公の所属部隊がクーデター派に味方したのが理由が不明確で、なんとなく西田に丸め込まれただけにしか見えない」「クーデター派が何時政権掌握したのか不明確」「とどめに、このクーデター話が、ガサラキの力の問題に、実質的にまるで関連がない」。
 ようするに、「目的」を、視聴者にも製作者自身にも明確に理解できるように、設定するという、脚本の基礎レベルがらしてなっていない、代物。
 これ、高橋監督作品だったのですが、脚本素人の野崎氏をメインライターに据えたのが、まずかったのか。

 一方、富野監督は、良作を作った。
・『ターンエーガンダム』:月と地球の、移民問題。領有権問題や、相手に対する偏見など、問題となっている部分が明確。その上で、交渉による解決を図りながらも、上手く行かず、あせって武力行使に走りがちになる問題や、交渉を進める上での駆け引きが描かれる。そして、昔のディアナ女王による上からの宥和政策の失敗を描きながらも、パン屋のキースなどを筆頭に、下の方からの相互理解と実利(衣食住や仕事)の確保で、融和が進んでいく様を描いている。