空想科学読本についての話の余談

 柳田理科雄氏の空想科学シリーズなどについて、「間違いはいろいろあるが、笑えるし、何よりそれで科学的関心と見識を広めてくれるではないか。間違いを問題にするべきではない」という方々を、しばしば見かけてきました。
 他にも「大雑把な解説でも、健康について楽しく述べているのだから、健康への関心と見識を高めてくれる(半端な見解を断言する健康番組/本)」「間違いがあり、過剰演出があっても、消費者意識を高めるのだからいいのではないか(『買ってはいけない』)」「陰謀論でウケをとろうとしていても、宇宙開発と政治への関心を高めてくれるからいいではないか(テレビ朝日の一連の、アポロ計画捏造陰謀論の番組)」「間違いがあり、過剰演出があっても、薬の害についての問題意識を高めてくれるのだからいいではないか(『クニミツの政』のインフルエンザに関する話)」など、同じ論理展開をたくさん見かけてきました。
 まあ、たしかに、以下に述べるような用い方をするなら有意義でしょう。

ある学説について、よくある誤りを検討することによって、その学説についての理解は深まるだろう。たとえば、特殊相対性理論について、双子のパラドックスを検討すれば、理解は深まる。進化生物学について誤りの宝庫のブログは、進化生物学について理解を深めるネタを提供してくれる。
NATROMの日記 少子化を遺伝子によって説明する より
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20051107

 しかし、この手の方々は、ほとんどの場合、「正しい知識は自分で調べればいい」というわりに自分で調べませんし、酷い場合には、そういう事を言いながら、間違った知識の方を頑固に信じ込んでいる。まあ、ちゃんと自分で正しい知識を調べる方や、知った上で笑う方もおられますが、やはり経験上、口先だけでそれ以上調べない、理解していない、間違った知識を刷り込まれる、という方のほうがずっと多い。
 それに、この手の方々、なぜか「正しい知識や分析で、ウケを取る、啓発をする」という、考えてみれば当然のはずの事、なぜか言わない。
 あと、「『**(擁護対象の本など)』は、啓発について有意義だ。だから多少の問題があっても擁護されるべきだ」という擁護論も、度々見てきた経験がありますが、そういう方の話を聞いていると、多くの場合、擁護対照以外の、昔から現在まで存在している、同じ題材を扱った、ずっと面白かったり優れていたりする、本などを色々と読んだ経験が無い。だから、『**』以外の判断基準を持てない。それどころか「こういう事を広めたのは**が初めてだろう」「**以外はこうした事についてまるで語っていなかった」という、無知ゆえの勘違いすらしばしばある。
 このあたり、問題点が多数あった種や、さらに酷かった種デスについて、「なぜそんなに批判されるのか理解できない。特別悪いところは無いではないか」と熱弁する方が、大抵、同種の作品やその背景となる物の観賞・読書経験がほとんどなく、せいぜい、初期のガンダムを中途半端に見たぐらいの経験しかないのと、共通している*1
 あるいは映画『CASSHERN』について、反戦テーマの作品をある程度見てきた人なら、反戦を、あまりにも工夫も広がりも無く、スローガン的にワンパターンに連呼しているのを、「そんなに反戦を言いたいなら映画館の廊下に、ポスターとして貼っておけば」と皮肉っていたのを、その手のテーマの作品をほとんど見た事が無い方が、「こんなにすばらしいテーマを熱心に表現しているのに、なぜ批判されるんだ?」と理解できなかった、というケースとか。

*1:もっとも、種や種デス批判をしている方も、初期のガンダムばかりとしか比較できず、その他の幅のある経験が全く不足しているというというのが多いのですが