「ファースト世代からのガンダムSEED擁護論」の大きな間違い

 二年程前に書いた物ですが、テキストデータなどを整理していて見つけたので、ここに掲載。
 SEED一作目本放送中に「ファースト世代からのガンダムSEED擁護論」( http://www.udauda.net/~geldolva/docs/gundamseedadvocate.htm )
なる文章が、話題になり、なおかつ的確な批評という評価が多かったようですが......私の率直な感想としては、事実関係に間違いが多々含まれており、分析にも、重要な点がいくつも欠落しているこういう文章が、なぜこんなに評価されるのか、不思議でなりませんでした。

 まあ、あと、『機動武闘伝Gガンダム』を少々見返していて、実際に「ガンダムブランドが不景気極まりない中、作品内容自体で盛りたてた」「マーチャンダイジング事情への配慮が大きく求められた状況下で、それにきっちり答え、なおかつ面白いドラマやアクションを見せてくれた」この作品を差し置いて、既に初代中心に再燃済(主な要因はMG、HGUCなどのリメイクプラモデル)だったガンダムブランド大好景気(Gガンダム開始当時とSEED開始当時を比べれば、商品の種類や量、メディアなどでの取り上げられ方など、その差は歴然)に乗っかった無難かつ物量攻勢まかせの企画内容で、実際の内容は論外レベルに関わらずヒットになったSEEDや種デスが、「不景気なガンダム人気を盛り上げた功労者で、マーチャンダイジング事情で過去作よりずっと苦労している」という歴史の捏造(大げさか)がまかり通っているのに、ふと腹が立ったこともあるのですけど。


 以下、2003年四月頃に書いた文章を掲載。



 それ、私も以前に読んだのですけど、はっきりいって、そのテキスト、根本的に間違っています。
 そのテキストの主要な論旨である、「昔のガンダムシリーズとかはマニアやマニア予備軍向けに作られていたがSEEDは一般向けに作られたから、あえてつまらなくなっているのだ」が、二つの大きな間違いをしています。


 まず一つは、「一般向けに売り込むなら売り込むで、キャラクターやメカに見せ場があり、面白くないとまずい」ということ。
 大体少し考えてみれば、そのテキストが言うような作劇、商業的手法をとっている(トイと主題歌の売り込み、二枚目俳優をたくさん配置、冷静に考えると結構整合性を蔑ろにしているキャラの見せ場重視、ライダーがたくさん)日曜朝の仮面ライダー(2005/6注:アギト〜剣をさして。現在の響鬼は方針が変わっている。あと、ガンダムシリーズではガンダムWも該当)は、SEED並につまらなくなっているかといえば、そうではないでしょう。
 最近のライダーに関して、真面目な批評として高く評価するかどうかは人によるでしょうけど、少なくとも主要登場人物や変身後のヒーロー、各種小道具などの見せ場(ギャグシ−ン含む)はふんだんにあり、話も毎年あれこれ工夫をして興味を引こうとしているわけですから。

 私も個人的に、SEED開始時点では、「SEEDの直接の競争相手は龍騎だな」と思っていましたけど、結果としてSEEDは、内容の面白さでは、龍騎や555に完全負けています。

 だいたい、SEEDがライダーのように実際視聴率を稼いでいるならそれもいいでしょうけど、実際には、あの時間帯としては視聴率不振の部類に入っているわけでして(2005/6注:終わってから全体を見ると、不振ではなく、訂正します。ただし、ウルトラマンや『鋼の錬金術師』と比べて突出しているわけでも無いですが)。プラモや関連商品が売れているのも、各種宣伝戦略のおかげであって、監督の功績では決してないわけですし(2005/6注:批判対象のテキストに決定的に欠けている観点。問題のテキストに限らず、映画やテレビドラマのヒットの要因を分析するのに、どういうわけかあの手の批評は、宣伝という、時には実際の内容よりもずっと重要な要素の考察が、全く欠落している。あと、引用の前置きに書いた、「SEED放送開始前から既にガンダムブランド全体が初代を中心に、元祖ガンダムブーム以来の大好景気状態で、Ζ〜ターンエーまでの過去作と比べて、スタートラインから際立って有利だった」という点も重要)。



 二つ目の間違いは、「ロボットアニメは昔から玩具(プラモデル)の宣伝番組で、ガンダムシリーズはその筆頭。マニア向けに作って収益を得ていたのではない」ということ。ガンダムシリーズ以外の80年代前半のリアルロボット物だって、ガンプラブーム時の好景気にのって、プラモのCMのために作られ、放送されていたのですから。
 このテキストが「昔のガンダムシリーズなどはそうした商業的制約の中で努力していた」と言っているのならまだ話はわかりますけど、「80-90年代は、好きな人が好きな人(あるいはその予備軍)に向けて作るのがアニメーション業界の商売」と全く事実に反したことを書いているのですから、この著者は明らかに無知です。この著者が言うような「マニア向けの業界の商売の方法」なるものは、80年代のOVAと、90年代後半の深夜や衛星、ケーブルといった新しい放送形態以降のテレビアニメのみに該当することで、少なくともガンダムシリーズのほとんどには当てはまりません。

 この著者は文末にて、「監督は制約の多い中健闘しているから、もっと評価されていい」といっていますが、そんなこと、マーチャンダイジングの影響が強いテレビアニメの監督は、昔から現在にいたるまでほとんど皆同じ条件なのですから、福田監督だけ条件が厳しいわけではない。
 この人、バンダイの都合で企画が持ち上がった「Ζガンダム」の制作上の諸事情や富野監督以下のスタッフの苦労や、初の「みんなガンダム状態」である「Gガンダム」の制作上の諸事情とかについても、無知なんですなあ。

 この人、マニア面しているわりに、ロボットアニメ(ガンダムも当然含んで)の進化の歴史と玩具を筆頭とした商業的事情の因業について語っている、『ミニパト』第二話も見ていないんでしょうなあ。


 私個人の評価としては「ただ単に、宣伝攻勢とスタッフの大口と正反対につまらないから、大顰蹙を買っているだけの事なのに、サブカルかぶれは、どうしてわざわざ複雑に考える?」



 それと、先週末公開が始まり、予想外の大集客だった劇場版『機動戦士Ζガンダム』。
 私はあの映画自体は高く評価していますが、冷静に”一般に広く売れる映画か”と考えると、とっつきにくいと言われる富野監督作品で、テレビシリーズ総集編で、古いフィルムをかなりの割合流用しているというように、売れる要素は少ない。
 それでもあれだけヒットしたという事は、「内容自体よりも、ガンダムブランド全体の好景気や、宣伝など、それらによる知名度の浸透の方が、ヒットの大きな要因になる」というSEEDや種デスのヒット要因の分析を、証明しちゃっているんですね。