機動戦士セイバーガンダム(機動戦士ガンダムSEED DESTINY)第20話

 キラやアスランが必死に戦っていても、当時のシンには、オーブ本土が戦場になるまで他人事だったという演出意図は、まあ、わかります。
 しかし丸一話分、それしかないのは、あまりにも芸がない。使いまわしフィルムで省力化するという前提を守りつつ、他にも、やれることは沢山あるでしょう。また、それだけのことしかできていないのに、使いまわしフィルムの分量が多い物だから、シンの心情描写の印象が圧倒的に負けている。
 たとえば、新規作画部分をシン一家の話にして、シンのバックウラウンドを描くというのは是非やるべきことなのに、やっていないも同然。結局シンについて、今まで全く不足していた内面やバックグラウンドについての新しい情報は、無きに等しいという、体たらく。心情の変化とか決意とかいった、まともなストーリーテリングなら描けて当然の事が、全く描けていない。
 人物描写もストーリーテリングもド下手糞な種デス/種らしいといえば、らしいですが。......とおもったら、今回の脚本は、嫁単独。成るべきして成ったわけ。

 しかしまあ、総集編で見ても、政治、戦略的な台詞が、まるでなっていない。
 一年半の話を無理やり中編映画にまとめて、それゆえに、作中の様々な政治的見解や対立の重要な部分が、説得力のある形でピックアップされていた『ドキュメンタリーダグラム』とは、雲泥の差。

  • 「戦争の終わりはどう決めればいい。相手を殺し尽くすまでか」<−譲歩を引き出す程度のダメージを与えるとか、完全に白旗を揚げさせるまでのダメージを与えるとかでしょう。
  • 「核は使うためにある」<−普通、直接使うのではなく、恫喝や抑止力に使う物でしょう。

 あと、後半の主役機デスティニーガンダムのプラモの発売が、夏とのことですが、それだと4クール目ですので、ずいぶん遅いことに。
 インパルスが作中で活躍しないため、あまり売れずに、それを解消するために、デスディにーガンダムの登場を遅らせてインパルスのてこ入れをしているという噂にも、信憑性が出てきました。