機動戦士セイバーガンダム(機動戦士ガンダムSEED DESTINY)

 途中から見ているのですけど、セイバーガンダムアスランに披露されるシーン。完全に、主役メカ状態。シャア議長のノリも半ば「セイバーガンダムがあれば、お前は神にも悪魔にもなれる」状態。
 自然な流れの中の見せ場を作りにくいインパルスの合体システムと違って、戦闘機型の変形のみという事で、見せ場もセイバーの方がずっと作りやすそうですし。
 インパルスガンダムの立場ゼロ。

 偽ラクスのミーア。
 政治物や陰謀物としての高望みをしないなら、使われ方も、本人の描写も、そこそこよいと思います。本物より、遥かにまともですし。
 で、ミーア、自分がどういう立場、どういう目的で、このような行動をしているのか視聴者に示し、その目的意識の延長として他の登場人物(この場合はアスランなど)にもアプローチをかけるという事をし、「ミーア・キャンベルとはこのような人物である」ということをちゃんと表現しています。
 籠の中の鳥という事では似たような立場ながら、脊髄反射的リアクションを繰り返すだけで、存在感希薄の、強化人間トリオとは大違い。
 しかしこれ、本当なら特別な事でもなんでもなく、主要登場人物のそれぞれで、ごくあたりまえにできていなければならない事なのですけど。こうした事を、アスラン中心のごく狭い範囲でしかできないあたり、種デスの監督&嫁コンビの作劇能力の低さが、あらためてよくわかります。
 たとえば、強化人間トリオの元祖である『Ζ』の強化人間は、ロザミアは「コロニー落しの恐怖心があり、エウーゴがそれを繰り返すと意識に刷り込まれて、隊長に無理を言ってでも熱心に戦おうとする」、フォウなら「記憶を奪われていて、それを取り戻すための交換条件として戦いに赴き、自分をそうした研究所に不満をあらわにして、付き人と衝突したり、単独行動などをとったりする」というように、動機と行動が明確です。しかし、種や種デスの新旧強化人間トリオは、地球編でのロザミアよりずっと出番が多いのに、こうした要素が皆無。