Fate/stay night 第13話 冬の城
マーリン:「アルトリアよ、それを取る前にもう一度良く考えてみるがよい」
アルトリア:「はい、私は望んでこの剣を抜きに......」
マーリン:「その剣を手にしたが最後、”ここでは組合管理主義。主権の委任は市民の意思によるものだ。湖の女王なんてヨタ話など、誰が信じるか”なんてギャグシーンのネタにされるぞ」
アルトリア:「......この話は『Fate』で、『モンティパイソン』ではありません」
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もう、繰り返し言っている事ですが、1クールとおしての士郎の美点と欠点の描写のバランスが、欠点側に傾きすぎているせいで今回の拉致も、「そこまで精神的に追い詰められたスキに」ではなく「また馬鹿をやって」になっている。
......ふと思った事ですけど『仮面ライダーカブト』の加賀美。彼も実力の伴わない理想家で、行動は空回りだらけで、天道などの足を引っ張ることさえしばしばしていたわけですが(もっとも現在は、ザビーの資格をえて、しかも自分であえてそれを捨てる事で、そこから脱却しましたが)、あちらが士郎のようにイライラさせられない理由は、天道などが兄貴分として、なんだかんだ言いながら、加賀美の美点を認めてフォローしてやっているからなんですな。たとえば今回のように、友情は青臭いといいながら、実際には友情の精神でいい方向に導くとか。これが「1クールもたたないのに加賀美のせいで天道が何度も致命的ピンチになる」とやっていたら加賀美は、「変人で完璧超人な天道に対する、普通人代表」ではなく、「ヒーローの足を引っ張る足手まとい」にしかならなかったわけで。
アニメ版Fateもこれぐらいの作劇上の按配を加えていれば、美点と欠点の描写のバランスが取れていたかもしれませんが、おそらくは後の祭り。
他所様
リァノーン日記:ほらね、春が来た
http://d.hatena.ne.jp/leanhaum/20060402
さて、今回も士郎の間抜けっぷりが一際目立ってたカンジがしますよ。
自分のせいでセイバーの魔力はスッカラカン、
公園でひとり悶々としていたところをイリヤにあっさり拉致られるという…
ゲームだとプレイヤーの選択で行動が(ある程度は)決定されるので、こういう展開も納得しやすいですが
受動的に見てるだけのアニメでは結構もどかしい思いをするもんですね。
この辺がゲームをアニメ化する難しさのひとつなのかも。
私はもっぱら、原作は一人称で心境が詳しく語られていて没入しやすかったのも違和感があまりなかった原因と考えていたのですが、たしかに、こういう要因も充分あるでしょう。