理屈と膏薬はどこにでもつく

 先の事を書いて、前々から思っていた事を書く。
 本や映画、ドラマ等の問題点の指摘について「**という理屈がつくから問題ない」と言い張る方々がしばしばいる。
 しかし、こういう方々は「理屈と膏薬はどこにでもつく」という事を考えていない。
 理屈をつけるだけなら、そうすると思い込めば、いくらでもつけられる。
 こういう方々は、「その説明にある程度以上*1の普遍性があるかどうか」というのを、まるで考慮していない。
 とはいえ、幅のある解釈をあまりに拒むのもまた、慎むべきである。こちらも行き過ぎると、今度は作中で明示されていた事や直接的に連想できる事まで「描かれていない」などと言い出す事になる。
 結局、過剰な脳内補完や脳内欠損を避けるために必要なのは、経験と見識によるバランス感覚。

余談

 だから私は、肯定だろうと否定だろうと、あまりに特定の方向に偏りすぎた場だけ見ていると感覚が狂うので、そういう事は避けるように心がけている。

*1:絶対的正解はなくても、ある程度以上の根拠や説得力は当然必要である