シーザーとクレオパトラ

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 原作はバーナード・ショウの舞台劇で、原作者本人がこの映画版の脚本も担当。そのためか、演技や台詞回しなども舞台劇的。一方、史劇映画的なスケールの大きさは今一。
 原作者が、「シェイクスピアは人間の弱さを描くのには長けているが、シーザーのような偉大な人物を描くのは不得手で、『ジュリアス・シーザー』は失敗作だ」と言っているだけあって、とにかくシーザー(ユリウス・カエサル)の、政治、軍事、恋愛、文筆の多方面で有能かつエネルギッシュ、なおかつユーモアにも長けた姿を存分に描いています。禿げ隠しに常時月桂冠を被っていたというエピソードまで盛り込んでいる。敵も極力許した寛容さもドラマの重要な要素として描かれています。
 一方、クレオパトラの方は、子供っぽく描かれており、シーザーとの関係も、我侭でかわいらしい子猫と、それを余裕であやす大人の関係として描かれている。なお、クレオパトラを演じたビビアン・リーは、後で調べると、当時30過ぎ。これで、歴史上の年齢は当時21歳、作中の精神年齢なら10代ぐらいのクレオパトラをさほど違和感無く演じるのは凄いですし、終盤の大人の女王として精神的に成長した姿を演じるのは、たしかに史実の年齢のみを重視した配役では無理。
 勇敢な将軍ではあるものの、敵に対して常に寛大で、陰惨な流血は嫌うシーザーと、周囲との軋轢。そして、シーザーにとって可愛い子猫にすぎなかったクレオパトラが、女王として成長し、暗殺をできるまでになったのを知って怒りを顕にするも、最後には女王として認めるシーザー。

評価:70点

 あと、これを見て、リドリー・スコットの『グラディエイター』と比較して思ったこと。
 この二作の差は、舞台となる時期と場所の固有の状況と、歴史上の人物の個性が、上手く生かされているかどうか。
 この映画の場合、エジプトの内戦という状況や、シーザーやクレオパトラ、その他の歴史上の人物の個性が上手く生かされている。それに対し、『グラディエイター』の場合、舞台設定や状況は帝政ローマ通俗的イメージでしかなく、コモドゥス統治時代でなくても別にかまわないもの。登場人物たちも、この映画用に創作されたようなキャラばかりで、歴史上の人物の個性が生かされているわけでもない(一番歴史に近いコモドゥスさえ肝心な、度々自ら剣闘で戦ったというエピソードが無し)。


 史実関係無しのストーリーや映像等の評価が第一としても、やはり、歴史ものなら、歴史を生かしてくれないと物足りないというのが正直なところ。