調べない人たち

 今年出た陰謀妄想本に『人類の月面着陸は無かったろう論』というのがあります。
 著者の副島隆彦氏は政治経済の方面では有名な人物のようで、その方面に関する評価は詳しくないゆえに差し控えさせていただきますが、少なくともこの本を見る分には、とても信じがたいです。

 科学知識は初歩的なレベルから間違いだらけ。いくら科学の専門家ではないからといって、政治経済の方面で優れているなら、できうる限りの下調べをして当然のはずなのに。それどころか、後述するように、この著者は正しい科学知識を教えてくれた人たちを、ことごとく「アメリカの手先の妨害工作員」という被害妄想丸出しの決め付けをして跳ね除けている。
 ロケット推進が真空ではできない事になっていたり(作用反作用の法則がわかっていない。この著者の理屈なら真空中で銃などを撃つと反動が軽くなるというおかしな事になる)、人間が宇宙に出ると放射能(”線”ではない)でたちまち焼け死ぬことになっていたり(この著者に被曝量の大小とか放射線障害という概念はない)、宇宙ステーションやスペースシャトルが空気のあるところを飛んでいたり(大気で減速して墜落する)、月が無重量だったり(月面の物がみな少しの弾みで、浮かび、飛び回る事になる)、月着陸船にロケットがついていなかったり(ついている。著者の目が節穴なだけ)と、かの『奇想天外SF兵器』級の間違いの連続。
 これでアポロに月に行く性能がない事を証明しようというのは、三菱の自動車の欠陥を暴くのに、その根拠として、「車内に石炭とボイラー室が無いのが不思議だ」「エンジンのシリンダー内でガソリンが爆発しているというが、そんな事をすればたちまち爆発炎上である」というような恥ずかしいこと。

 文章自体も、罵詈雑言と被害妄想(批判者は全てアメリカの手先の妨害工作員だそうで)のオンパレード。

 それに政治経済専門家のはずなのに、ちょっと注意深く見れば、既存のニュース映像を編集しただけとわかる、ラムズフェルドらがアポロの捏造を告白したという設定の冗談映像(しかも、放送時、ちゃんと冗談である事は説明されていた)を、「事実」とい信じ込む節穴ぶり。ラムズフェルドらが本当にそんな告白をすれば、他のスキャンダル事件同様、今ごろ大騒ぎですけど。しかし政治経済の専門家のはずの著者の目は節穴。

 しかし、こんなデタラメさが明らかな本を真に受ける人が案外多いようです。嘆かわしい事に。

 まず、政治経済分野で有名という事で盲信する人が多いようですが、それは今回置いておきます。
 もう一つの問題は、この本に書かれている、大半が極めて初歩的な、著者の間違いや妄想を、簡単に信じ込んでしまう人が多い事です。
 ちょっとしらべれば、普通に解説済みの事を、著者のいう事を真に受けて「謎」と信じ込んでしまう。

 実はアマゾンで探しものをしていて、この本に関するレビューを見たのが、書いたきっかけです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198618747/250-1330220-1118633
 さすがにこの本のデタラメさを指摘しているレビューも多かったですが、盲信しているのも多い。

 特に一番最新分の「素朴な疑問 2004/09/24」
 このレビューアーの素朴な疑問というのは、1.月では真空なのになぜ国旗が揺らいでるのか、2.あんな小さな着陸船のどこに大きな推進パワーがあるのだろうか、3.面を歩いてる宇宙飛行士の歩き方(飛び跳ね方?)がやけに自然で、月面という気がしなかった、というもの。
 それぞれ、1.見栄えがよいように骨組みが入っているから、2.行きは往復分の全てのペイロードを持って1Gを振り切らなければならないのに対し、帰りは返り分のみのペイロードで1/6Gを振り切ればいいので、必要な推力は大幅に減る 3.映像を見る分にはずいぶんふわふわした感じの歩き方ですが、このレビューアーはそうした映像をろくに見た事がないか、もしくは兎みたいに跳ねまわらないと納得しないのでしょうか?など、少し調べればすぐ回答がわかるものばかり。
 このレビューの後半では「一般読者は私も含めて科学知識などあまり詳しくない。理科系人間の本書に対する反論は、私には正しいかどうか分からぬが、核心をついてない気がするのだ」といいつつ、「理科知識を社会に広めなかった理科系人間の責任は当然追求されるのではないかと考える。著者に文句言うまえに、まず自分達の責任は何かを考えるべきだ 」と言い出す。
 いや、ちゃんと広めているのですけど。他の方の既存のレビューでもちゃんとそのことを説明している。しかも、そのくせデタラメばかり書いている著者の正体にはまるで疑問をもっていない。そうして、素朴な疑問があるならそれを調べて両論比較するという、公開レビューを書くならあたりまえの事すらせずに、「素朴な疑問」とかいう恥ずかしい事を公表レビューに書きつらねて、科学者などだけに責任転嫁するのは、愚か極まりない。

 少なくとも私は、公表するようなレビューを書くときは、自分が知らないだけの基礎的な知識がないかどうか、調べてからにしています。
 インターネット時代になってそうした作業は非常に簡単になり、「これでは怠け者になるなあ」と、しばしば自己嫌悪におちいります。まあ、質・量ともに充実した情報は、今でもやはり本の方が頼りになるのですが。
 しかし、このレビューでもそうですし、他のインターネット上の話題でもしばしば「調べない」「調べるように言われても、調べず、一方的に質問ばかり繰り返す」「調べないまま、相手の説明だけが悪いと、責任転嫁する」「中には、自分が調べない事で迷惑を掛けているのに対し、逆ギレまで起こす困った人がいる」という事例が多いです
 副島氏は、「自分にとやかく言って来るのはすべて、アメリカの手先の妨害工作だ」という妄想似逃避するという、極めてまれな困った人状態。
 結局、どんなに情報開示しても、調べない愚か者相手ばかりでは、無意味という、嘆かわしいことなのです。


 アポロ計画に関してのみなら、せめてこの本ぐらい読んでからにしましょうよ。
まんがサイエンス (2) ノーラコミックスDELUXE あさりよしとお (著),「5年の科学」編集部
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4051062228/ref=lm_lb_23/250-1330220-1118633