ウルトラマンマックス

 バルタン星人前後編。
 正直文明批判、武力批判テーマの脚本的な部分は、道徳教科書的なことをペラペラ喋らせれば良したような、開始時から言われたいた悪い意味でのいつものマックス。メトロン星人編みたいに、冷静に考えれば老人の愚痴みたいな事でも、演出力と役者の存在感で、地に足が付いたその立場なりのもっともな言い分という厚みを出していたわけでも無い。
 いかにも文明批判のつもりで取って付けたような、ラストカットの演出センスの無さにも失望。
 しかっそれを補って余りあるのが、ダークバルタン、タイニーバルタンの能力の映像表現。これだけでも見事な上に、話の方も、上記のような弱ささえ補う。

追記

 メロディでダークバルタンを静めるという解決方法が、以前のイフの話と比べてずっと劣っている理由。
 イフの話は、そもそもイフは明確な意思がなくただ外界の刺激に鸚鵡返しをするだけの、寓話性が非常に強い存在だったので、「武器には武器、音楽には音楽」と反応するのは、意外性がありつつ話としての筋がちゃんと通っていた。また、演奏をした少女も特に何かを意図したわけでなく、絶望的な状況で、ただ自分の思いを出しただけなのが、思いがけない「奇跡」を生んでしまった。逆説的な話ではありますが、音楽の素晴らしさをわざとらしく誇示しないからこそ、かえってその効果の素晴らしさが自然に際立つ。

 ところが今回のダークバルタン、明確な人格や意思をもって地球を襲っている。それが、いくら平和な時代の遺物だからといって、鐘の音を聞いただけでいきなり戦意を喪失するのは唐突。ダークバルタンに鐘の音を聞いて心を改める下地があったという前ふりがあったり、鐘の音はあくまで象徴で少年少女たちの行動にこそ心をうたれたとかいう展開の帰結としてなら良いですが、実際には、悪霊にお札を見せたら途端に成仏したみたいな代物。しかも、話の段取りがまるでなっていないのに、「これは平和の象徴です」とわざわざ誇示しながら鳴らされるのが、かえって興ざめ。
 仮想のストーリーを例に挙げてみましょう、元教会関係者で「神など信じない」という悪役がいたとして、最後には聖書を見て悔い改めるという話があったとします。この話を自然に見せるなら「この悪役は実際には神の教えに未練が色々ある」とか「聖書の教えを信念を持って示す人の行動を悪役が目の当たりにする」といった過程があった上で、最終的に聖書を見て悔い改めるという落ちに持っていくのが妥当でしょう。ところが、直前までひたすら暴れまわっていたのに、神々しき光る聖書を見たら「これには神の愛が書かれている」というだけでいきなり悔い改める話があったとしてたら、大変安易な話でしょう。今回の「鐘の音で戦意を失うバルタン」というのは後者のようなもの。
 とはいえ、美しい音楽と映像で鐘の演奏が流されたら、雰囲気的に説得力が出てくるのもまた事実。しかし今回の話は、脚本面が余りにも杜撰なので、片手落ち。