うたわれるもの 第10話「傭兵」

 ......放送時間がずれて、Bパートの冒頭までしか録画されていなかった。
 カルラの初登場シーンは前回のニウェ皇同様ずいぶんケレン味がつようなあ。
 あと今回の作画は、カルラのグラマーさ以外にも、エルルゥなどの耳や尻尾がずいぶん跳ね上がったりして動いていたなあ。

Fate/stay night 第22話「願いの果て」

 この話単発でみたらムード演出されていていい感じに見にえるでしょうけど、シリーズ全体の流れで見ると「この馬鹿主人公のどこがいいんだ?」「ランサーの久しぶりの登場と活躍、最期が唐突」「久しぶりに出てきていきなりラスボス化する言峰神父も唐突」「ずいぶん唐突で、しかも結論の端的な事だけの聖杯の説明」と問題だらけ。
 士郎が馬鹿に見えてしまう問題は散々述べてきたので省略。
 ランサー、言峰、聖杯の問題は、原作の今回の話に該当する部分では、三ルート構成前提で、第ニ、第三ルートであらためて描くために、あえて第一ルートでは露出を抑え腑に落ちない感じを持たせていたのに、それを単発のストーリーラインで完結するアニメ版で工夫無しにトレースしたため。単発ラインで完結するなら、ランサー、言峰、聖杯*1の問題はもっと前から「伏線」「話の段取り」として度々露出させておかなければならないのに、そういう基本的な工夫すらしていない。

余談

 他所の感想見て気付いた話の矛盾。今回イリヤは(XXが原因で)衰弱して寝込んでいる。キャスター戦の時も衰弱して寝込んでいた。......この二つの間のデートエピソードの冒頭でイリヤものすごく元気でしたが?
 デートエピソードのときに「今日は具合はいいのか?」「今日は大丈夫」と言わせるだけで、こんな矛盾はなくなるはずですが。

 それにイリヤが度々こんな状態なら、キャスター戦の時や前回の時点などで士郎たち(特に士郎)がイリヤの病状の事を全く心配しないのはおかしい。はっきリ言えば、キャスター戦のときからイリヤは寝込むほど度々体調が悪くなっているのに、主人公たちは今回になってようやく言及して心配しだすというおかしな話になっている。
 というか前回イリヤはどこにいた?今回イリヤは明らかに衛宮邸にいますし。

*1:キャスターが聖杯を召還しようとする独自エピソードなんて三話もあったのに、『Fate』の聖杯の独自のシステムや正体の一部説明の絶好の機会だったのに、「たくさんの魔力と魔術師一人の生贄があれば聖杯を呼べる」というファンタジー、伝記物でありきたりな事しか述べていなかった始末

黒の試走車

大映 1962年 白黒 97分
監督:増村保造
出演:田宮二郎、叶順子、高松英郎、上田吉二郎、船越英二

 時間的余裕ができたので録画していたものを、ぼちぼち観賞。
 この映画のテーマ自体はわかりやすく、組織の犬になって人間性を失うことへの批判。
 この映画の風刺を効かせているところは、一般的な物語では明るい夢として描かれるスポーツカー開発と販売のプロジェクトを、凄惨な産業スパイ合戦として描いていること。クライマックスの乱闘が新型スポーツカーのポスターの前で行われ、その結果の死者を会社の看板が見下ろすような構図で写されているくだりでは特に明確。
 さらにこの映画が単なる説教臭い映画でないところは、お互い知恵をつくしたスパイ戦術競争や、二段、三段と仕掛けられた敵スパイの配置を暴いていく、攻防ストーリー。高松英郎演じる小野田部長率いる開発企画一課がかなりヤクザな方法を使ってスパイをしていても、その戦術の面白みや、より悪辣で狡猾な敵側の存在などでピカレスク的に面白い。
 ただ小野田が最期には、結果的に人を殺してもまるで良心の呵責を感じないほど悪辣な存在になったと、田宮二郎演じる朝比奈に糾弾されるくだりは、理屈はわかるものの小野田が最初と大きく変わったような印象が弱く、最初の頃には非常の手段としていた事が、相手の悪辣さに応戦するうちにどんどんエスカレートしていき最期に到るというように、落差をもっと明確にしていればと思えるのが物足りず。
 叶順子演じる昌子の、朝比奈に対する冷ややかとも達観とも取れる「馬鹿な男だね」というような眼差しも印象的。

黒の試走車(テストカー) [VHS]

黒の試走車(テストカー) [VHS]

黒の報告書

大映 1963年 白黒 94分
監督:増村保造
出演:宇津井健、叶順子、高松英郎、見明凡太郎

 法廷物。
 城戸検事演じる宇津井健の、前半の捜査から告発までに到る好調さと、裁判でそれがひっくり返ることによる憤り、ラストの失意の落差は十分描けていましたが、話が単純すぎるのが難点。
 捜査段階の前半、裁判段階の中盤ともに、証言集めや表明の描写が大半で、それで時間のほとんどをとっている。ドラマ的にも「上手くいくと思っていたら、裁判段階の偽証の連発で動揺する」という単純な物でそれ以上の面白みがあまりない。

モンテ・クリスト伯 第六巻、第七巻(完結)

 読了
 ダンデスがモンテ・クリスト伯爵を名乗って現れた第三巻あたりからは、ゆったりしたペースで進行していましたが、5巻後半からは怒涛の展開。
 伯爵の苦悩ぶりが克明に描かれている。ついに復讐の実行段階に入るが、第一ターゲットのモルセールへの復讐にスキャンダルを暴露して息子のアルベールを殺すために挑発して決闘を受けさせるが、かつての恋人であるメルセデスに懇願されアルベールを殺せる心境でなくなる。そして一度は捨て鉢でアルベールに殺されてやろうと思うが、娘のようなエデを残すことを考えて苦悩。
 結局モルセール家の件は、アルベールの機転と決断で決闘を回避し、アルベールとメルセデスはモルセールを見放して家を離れ、モルセールの自殺するというこのときは最良に見えた結果に終わる。
 しかし次のヴィルフォールへの復讐は、彼を発狂するまで追い詰めることに成功するが、ヴィルフォールの幼い子供まで死に至らしめたことに再び苦悩。さらにメルセデスにもやはり家庭を破壊した多大な心痛を与えていたことを思い知る。
 そうして、不正への怒りや復讐の権利を求める心境と、自身の復讐による災厄への罪の意識、神の意志をどこにも止めるかなどで葛藤し、それでも復讐真を自ら駆り立てるも、結局最後のダングラールへの復讐は、白髪になるほどの恐怖を与えることのみにとどめる。 そうして復讐を終えた後のラストでは、せめてもの一つの善行を行い旅立つ。
 このあたりの苦悩の克明な描写は、要約版では味わえない。

 前田監督版『巌窟王』との比較
 前田版と決定的に展開が変わるのは、アルベールとの決闘前にメルセデスが命乞いに来た時に、原作ではその命乞いを聞き入れて以後復讐に大きな葛藤などを持つのに対し、アニメ版では命乞いを聞き入れず以後も冷酷非情に執念で徹した事。
 原作で伯爵は、メルセデスの命乞いを聞き入れて復讐を貫徹する意思が崩れた時に「復讐しようと決心したとき、心臓をむしり取っておけばよかったんだ!」と一人叫ぶ。前田版ではおそらくはここを踏まえて「心臓をむしり取ってしまった場合の伯爵」を描いている。事実前田版では心が凍てつき、心臓まで鉱物になっていると明確に描写されている。そうしてアルベールとドラマ上で対峙させている。
 ただ、ドラマとしての面白さは、前田版のアルベールの若さと素直さゆえのひたむきさを主眼にしたものもいいですが、やはり原作の人生の喜びと苦しみの多くを経験し、復讐の是非について激しく葛藤し、エデやマクシミリアンに実の子供のような愛着をもつ伯爵を主眼にしているほうが、ドラマ的にずっと深みがあり面白いです。

モンテ・クリスト伯〈6〉 (岩波文庫)

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モンテ・クリスト伯〈7〉 (岩波文庫)

モンテ・クリスト伯〈7〉 (岩波文庫)

巌窟王 第1巻 [DVD]

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